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「世の中金」と感じる瞬間|「世の中金じゃない」との考え方の違い

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皆様は「世の中金」と感じることはありますか?人それぞれではありますが、中には「世の中金」と考えていらっしゃる方もいるでしょう。今回はそんな「世の中金」と感じる瞬間や「『世の中金』じゃない」という考えなど様々な観点からご紹介していきます。

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「世の中金」と感じる瞬間

貧富の差は身近にある

結婚式に出席すれば、「ああ、この結婚式はお金がかかっているな」と感じる式もあれば、「だいぶお金を節約しているな」と感じる式もあります。それ以前に、いわゆる「できちゃった婚」で結婚式すらあげないという人もいます。 結婚という人生の重要イベントで、イベントの質を左右する(あるいはイベントが出来るかどうか)のはお金次第です。また、電車で暖をとっているのであろうホームレスの方がおられます。申し訳ないけれど、大変なにおいがあるため、出勤時間でも周りには「空間」ができます。その一方で、同じ電車に乗っている大多数の人々は帰る家があります。同じ人間でありながら、周りの人から不快な目で見られつつ、電車で暖を取る方がいる一方で、家がある人もいます。違いはお金があるかどうかです。

「世の中金」なのか?

どなたでも、程度の差はあれ、日々の生活の中で生活の貧富の差をひしひしと感じることがあるでしょう。こういった貧富の差を目の当たりにすると、「世の中金なのかな」という言葉が頭をよぎります。「世の中金」というのは、真実でしょうか、それとも、世の中金という考えは間違っているのでしょうか。ここでは、世の中金か、そうではないのかという、どなたでも時に考えられることがあるであろう問題について、少し掘り下げて考えていきます。

「世の中金」か、そうでないか?それぞれの理由

「世の中金」という理由

世の中金という考えの方は、例えば、以下のようなお考えをお持ちなのでしょう。 ・「世の中の大半のものは金で買うことができる」 ・「金がなければ何もできない」 ・「貧乏な生活は苦しい」 こういった理由などから「世の中金」というお考えを持たれていると考えられます。 また一方で「世の中金じゃない」という考えの方もおられます。こういった方は例えば、以下のような考えをお持ちなのでしょう。 ・「金、金いうのは人間として卑しい」 ・「友人や愛など金で買えないものはたくさんある」 などのお考えです。お金の価値を全面否定はされないものの、少なくとも「世の中金」という考え方は否定されるという考えです。 いわば「世の中金説」と「世の中金じゃない説」です。どちらの説にも一理あるといえます。むしろ、現実には多くの方が「世の中金という時もあるけれどすべてではない」といった考えであるのでしょう。逆に言えば、「世の中金だ」「世の中金じゃない」という考え方のどちらか一方だけを信じている方は少ないというのが実際のところです。

「世の中金じゃない」は綺麗事なのか?

 どちらかといえば現実的な「世の中金じゃない否定説」

さらに一歩進んで「世の中金じゃないというのは、綺麗事だ。世の中を知らない人間だ。」というお考えの方もおられるでしょう。このような考えは資本主義という考え方で動いている現実を見つめられた、まさに現実に即したご意見と言えます。お金の大切さを身にしみて感じられたご経験があるのかもしれません。

 「世の中金説」「世の中金じゃない説」の共通の問題点

しかし、「世の中金説」「世の中金じゃない説」どちらも共通した問題点があると言えます。それはいずれも、現在の社会制度の前提に肯定か否定かという、二分論に立っているという点です。世の中お金と考えようと、お金ではないと考えようが、いずれにしても、資本主義という価値観(端的に言えば「紙幣」で成り立っている近代以降の価値観)の鎖から脱却していません。 その意味で資本主義という同じコップの中で論争であって、どちらの立場に立っても、新しい価値を見出すことは永久にできません。いずれの考え方も、結局は同じ資本主義という傘の下で資本主義を肯定するか否定するかというだけの話になります。

問題解決への考え方

「世の中金」か「世の中金ではない」かという問題解決への糸口は、どちらも資本主義という鎖に縛られているということに気づいて、資本主義というコップから出る方向性を考えるということが問題解決への根本的な糸口となります。もちろん、資本主義という近代200年を支えた社会制度が一度に変わることはありません。 しかし、「世の中金か金ではないかという問題提起では世の中は変わらないのではないか」と気づいて新しい問題提起をすることが、長期的に新しい価値と考え方を生み、貧富の差という問題をクリアーするカギとなると言えます。いわゆるポストモダン(近代の超克)ということです。

歴史に見る経済思想と新思潮の展開へ

「世の中金か金ではないかという問題提起では世の中は変わらないのではないか、同じ資本主義のコップの中の議論だ」というと、「社会主義や共産主義が良いのか」ということを思われるかもしれません。しかし、社会主義・共産主義といった思想自体は理想的であるとしても、現実に社会制度に取り入れた場合に、極めて大きな問題を生じさせたことは20世紀が100年をかけて実証してくれました。 社会主義、共産主義は、誰もが平等な労働者と考える、思想としては理想的な考えですが、人間の本性には合わないということは確認されてしまいました。そのため、共産主義等が資本主義に変わるコップではないことは明らかです。そして、資本主義に変わるコップはまだ人類は発見できていません。そのため、「世の中金」かそうではないかという身近に感じる問題を解決するためには新しい社会制度を考えていくという、遠大な問題へとつながっていくことになります。

現実的な問題への考え方

このように「世の中金かそうではないか」という問題は、資本主義に変わる社会制度は何かという遠大な問題につながりますが、現実的な問題としては、貧富の差やお金持ちへの嫉妬などの気持ちを目の当たりにされた時の対処が問題になると言えます。こういった問題は、「解決できない」というひとつの諦めを抱くことが現実的な対処としては重要です。 例えば、目の前にホームレスの方がおられたとして、自分自身が助けることはできません。また、お金持ちに嫉妬が生じた場合に気持ちの発生をコントロールすることはできません。感情はコントロールできるものではありません。貧富の差やお金持ちへの嫉妬など、資本主義という社会制度がある以上は必ず生じるものとして「積極的に諦める」ということが重要です。 諦めるとは、もともとは明らかにするという意味の仏教用語です。人は誰でもいつか死んでしまうように、世の中に貧富の差などが生じることは、自然なことであり、そのことを明らかにすること。つまり、積極的に認めることが現実的な対処法です。

「世の中金か」という議論から脱却できる時代はいつか来る

「世の中金か、そうではないか」という問題から脱却できる時代は、いつか必ず訪れることになります。歴史をみれば、ひとつの社会制度が永遠に続いているということはありません。例えば、土地を基本とする封建制度は日本では鎌倉時代から江戸時代までの700年の長期にわたりましたが、明治になってなくなりました。 資本主義という制度自体の問題は、多くの方が意識されている以上、次第に変化していき、いつか変わる事があると言えます。2045年には、人工知能が人間の知能を超える技術的特異点(シンギュラリティ)が訪れるといいます。最も近い可能性として人智を超えた人工知能が、資本主義の問題点、すなわち「世の中金かそうではないか」という問題を解決してくれる可能性があると言えます。

自分の明確な考えを持ちましょう!

いかがでしたでしょうか。今回は「世の中金か、そうでないか」の疑問についてご紹介してきました。人それぞれの考えがありますが、自分の考えを持つことが大切です。お金は大切ですが、しっかりと自分の明確な考えを持って周りに流されないようにしましょう。今回の記事が少しでも読者の皆様のお役に立てれば幸いです。

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