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生存バイアスの意味|生存バイアスと認知バイアスの違い

言葉の意味

「子供は厳しく育てても立派に育つ」「血液型がA型ならば几帳面」「成功者はみんな○○を習慣にしている」……これらは一見正しいように見えて、実は間違った論理をもとにした結論です。キーワードは”生存バイアス”。生存バイアスとは何であり、何が間違っているのでしょう。

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世の中にあふれる”生存バイアスの罠”

「子供は厳しく育てても立派に育つ」「血液型がA型ならば几帳面」「成功者はみんな○○を習慣にしている」 こういった文言がしばしば見られます。これらは一見正しいように見えて、実は間違った論理をもとにした結論です。キーワードは”生存バイアス”。生存バイアスとは何で、何が間違っているのでしょう。

生存バイアス・認知バイアスの意味

生存バイアス(Survivorship bias)とは、生存した物のみを基準とすることで誤った判断を行ってしまうことである。生存者バイアスなどとも言われる。

認知バイアス(にんちバイアス、英: cognitive bias)とは、認知心理学や社会心理学での様々な観察者効果の一種であり、非常に基本的な統計学的な誤り、社会的帰属の誤り、記憶の誤り(虚偽記憶)など人間が犯しやすい問題である。認知バイアスは、事例証拠や法的証拠の信頼性を大きく歪める。

「本当だったらデータが偏っているけれど、生存者だけしか調べていないことで統計的なバイアスが出てしまった」という現象のことを生存バイアスというのですね。

生存バイアス・認知バイアスの例

生存バイアスの例を見てみましょう。

「投資で必ず成功する!」

「うちの投資メソッドを利用して3年間投資を続けた人はこんなに成功しました!」こんな広告がよくありますよね。上の文言は、厳密には嘘ではありませんが、生存バイアスがかかっているので、半分嘘みたいなものです。冷静に考えてください。投資で大負けしている人は、同じ投資メソッドで3年も続けていられるでしょうか? 潔く負けを認めて、とっとと撤退してしまうに決まっています。 結果、その投資メソッドを使って儲かっている人しか、利用者は残らないのです。これが生存バイアスです。

「体罰はいいことだ! 公の教育でもっと採用すべき!」

「体罰はいいこと、効果があることだ! こういうことは公の教育でもっと行うべきだ!」と考える人は一定数います。そういった人たちの中には、思考の過程でこの生存バイアスの罠に引っかかってしまった人がいます。 昔も体罰や教育の過程の過激なしごきで死んだ子供はたくさんいたはずです。しかし、一方で、そういったしごきがあるにもかかわらず生き残った人たちも大勢います。そういった生き残りが作った社会の中では、自然と「体罰をしても最悪の結末になることはない」と暗黙の了解になってしまうのです。体罰の恐ろしいところは、直接的な暴力だけではなく、こういう形で被害者が増え続けるところもあるのですね。 「淘汰」などとのたまう人もいますが、誤解もいいところです。あなたが生き残ったのは、たまたま。あくまで偶然そうなっただけに過ぎません。

「エアバッグを普及させたのに、事故の負傷者が増えた!」

昔々、外国に、ある都市がありました。そこの都市では自家用車が普及していましたが、残念なことに安全に対する認識がいちじるしく低くて、エアバッグがあまり普及していなかったのです。 その都市の偉い人たちは、エアバッグの普及に乗り出しました。色々なキャンペーンを行って、エアバッグのある車を多数派にさせることに成功したのです。ところが。都市の病院に勤める医師たちがあることに気付いたのです。「普及前より普及後の方が、救急怪我人が多い。おかげで私たち医者は、前より忙しくなってしまった!」原因を調べてみると、エアバッグ普及前より交通事故の負傷者が多くなっているのです。非常に奇妙なことですね。実はこれも、生存バイアスのなせる業なのです。 普通の事故なら死亡するところを、エアバッグのおかげで負傷で済み、かろうじて生き延びれるということがあります。その結果、データだけを見れば負傷者が増えている――死亡者はむしろ減っているんですけれど、そのことになかなか気づかない人もいます――ということになるのです。

「最近の子供は軟弱だ! 昔はこんなに弱い子供はいなかった!」

昔は弱い子供は死んでました。今は医療技術が向上したから、昔だったらただ死んでしまうような子供だって生き残れるようになっただけです。 また、似たようなロジックで、「昔はアレルギーにかかった子供なんていなかった! だからこれは子供が軟弱になった証拠だ!」と主張する人がいます。これも生存バイアスのなす錯覚です。 昔は、アレルギーについては昔は認識が広まらなかったので、死んだとしても死因なんて特定できなかったでしょう。まさに生存バイアスですね。

「マンガ家になればもうかる!」

「マンガ家・ミュージシャン・スポーツ選手って楽に金儲けできていいな!」 誰でも一度はこういうことを考えたことがありますよね。これも生存バイアスです。 これらの職業は競争が激しいもの。トップになれるのは一握り。ほとんどの人はジリ貧です。しかし、トップにいる人たちがメディアに露出して目立ってしまうと、それを見た人たちは、「ああ、こういう職業の人って”必ず”儲かるんだ」と勘違いしてしまいます。 これも生存バイアスのなせる業です。

「血液型がA型の人は几帳面!」

血液型占いは、誰でもやったことがありますよね?「血液型がA型の人は几帳面!」「O型の人は大らか!」というのも、聞いたことがあるでしょう。みなさんの中に何人か、信じている人もいるはずです。身の回りをみてください。世の中にはいろいろな人がいます。几帳面な人も大らかな人も、自己中心的な人も、いつだって何処かに存在しているのです。もっと言えば、同じ人でも、几帳面であるかないか、大らかかそうでないか、時と場合によって違います。 仕事では几帳面な人でも、家ではいい加減に家事をやっているとか、学生の頃は大らかだったけれど、社会人になったら余裕がなくなって大らかじゃなくなってくるとか。よくあることです。従って、血液型占いが当たっている人は必ず、この社会のどこかしらに存在しているわけです。そういう人をたまたま見つけて、「当たってる!」と思い込んでしまった人は、そのまま血液型占いにハマります。「当たってない!」と感じた人は、血液型占いをバカバカしいものだと思い、離れていきます。当然、そういう人たちは「自分はA型だから几帳面だ」などと思い込むことは決してありません。 また、その一方で、血液型占いを正しいと思っている人の周りには、同じように正しいと思っている人しか集まりません。何故ならば、血液型占いを正しくないと思っている人たちにとって、占いで人を判断するのは、ただ単純に勝手に性格を決めつけられることです。それは気持ちのいいことではありませんし、賢い行いでもありません。従って、そういうことをされると不愉快に感じて、血液型占いを信じている人たちから離れていきます。残った集団は「A型は几帳面」「O型は大らか」と思い込み、自分たちのコミュニティの人間に当てはめていき、ますます思い込みを強めるのです。 こういうのも、生存バイアス・認知バイアスのひとつです。

「私の周りの男はダメな奴ばかり!」

「私の周囲にはダメな男しかいない!」「変な女ばかりだ!」という愚痴はよく聞きます。しかし、そういう人の意見を聞くと、たまたまその人の周りにダメな男しかいなかったり、本人が悪い人間なので周囲に変な人しか近寄らなかったりということがあります。これも生存バイアス・認知バイアスの一種ですね。

生存バイアス・認知バイアスの罠に引っかからない方法

そんなものはありません! 一流の科学者でも、この種類の思考トラップに引っかかることが多々あります。「自分の頭で考えること」でも限度があります。とはいえ、ひとつの物事を考えていって、明らかに間違った結論が出たときに、「これはもしかして論理の一部分が間違っているのかも?」「その罠って、もしかしたら認知バイアスではないか?」と考えれば、ある程度は自分の力でおさえることができるでしょう。

期待値を求める

期待値や平均値を求めてみましょう。期待値とは、一回の試行でどれだけ取れるかという「見込み」のことです。たとえば、サイコロを一回振る場合、出る目の数は 1×1/6+2×1/6+3×1/6+4×1/6+5×1/6+6×1/6=3.5 です。もちろん、一度サイコロを振ったところで、3.5の目が出るわけではありません。しかし、サイコロを何度も振ったとすると、1回ごとの平均は3.5に近くなるなと認識できます。このように、期待値を求めるのが有効な場合もあります。 たとえばマンガ家。マンガ家で成功する人はほんの一握りで、あとはデビューできたとしてもジリ貧なのではと予想されます。その場合、平均値はかなり低くなるだろうと予想できます。実際に調べたことがないので確かなことは言えませんが。

確率・統計を学ぶ

近頃では様々な分野で、確率統計学の知識が求められてきています。期待値や平均値という考え方も、確率統計学の研究で生まれたものです。生存バイアスや認知バイアスについて触れることもあるでしょう。 いっそこの機会に、これらの分野を勉強してみるのはどうでしょう?

「自分のいる社会は世界の一部分でしかない」と認識する

あなたがどこにいて、どんな人とお付き合いしているかは知りません。が、あなたのいる社会やコミュニティは所詮、社会にある大多数のコミュニティのうち一部分でしかありません。都会にいるとつい田舎のことを忘れてしまいますし、学者になって象牙の塔に籠もっていると、会社勤めのサラリーマンがどういうロジックで動いているかなかなか知る機会がなくなってきます。 「盲人、象を評す」という言葉があります。視覚障碍者は動物のゾウを見ることができません。従って、ゾウを知ろうとするならば、手で触ってどんな動物か学ばなければならないです。 しかし、そのときに、もし一部分しか触らないとどうなるでしょう? 太い足を触って「まるで柱のようだ」と言ったり、長い鼻を触って「まるでホースのようだ」といったり。牙を触って「白亜のような感触がある」と言うこともあり得れば、大きな耳を触って「大きな布のようだ」と思うことだってあり得ます。しかし、一部分だけ触ってもゾウの全体や、その本質はわかりません。 もちろん、全体を触って把握するのが本当は一番いいのですが、なかなかそううまくはいきません。人間にはできることに限界があるし、社会の仕組みや人の繋がりはゾウ以上に構造的で複雑です。ではどうすればいいのでしょう。「自分はゾウの一部分しか触っていない」と自覚することです。自分の居場所は所詮社会の一部分であって、そこだけを世界のすべてと考えてはいけない。心の片隅にそういう意見をとどめておくだけでも、生存バイアスの罠に引っかかることはなくなる……かもしれません。

生存バイアスを覚えていきましょう

人間は一部分しか見れません。自分の見ている世界は所詮、氷山の一角でしかないということを、ついつい忘れてしまいます。そんな中で生きていくのは大変です。 生存バイアスの罠に引っかからないよう、もし周りに引っかかった人がいても、そういう間違いを説得して修正させられるようにしてください。そうすると、ほんの少しですが生きやすくなります。

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