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「いたす」は正しい敬語か・公用のときの使い方|古語/類語

初回公開日:2018年03月16日

更新日:2020年08月07日

記載されている内容は2018年03月16日時点のものです。現在の情報と異なる可能性がありますので、ご了承ください。

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敬語

皆さんこんにちは、今回は「いたす」は正しい敬語か・公用のときの使い方と題して、「いたす」という言葉の正確な用法や意味合い、またさまざまな分野における「いたす」の用例についてご紹介します。ぜひ「お役立ち情報」としてピックアップしてみてください。

「いたす」という言葉とは

「いたす」という言葉を皆さんは聞いたり、使ったりしたことがあるでしょうか。「いたす」という言葉は「致す」と書き、「○○が△△にいたること」や「人が何かをすること・特定の目的達成すること」を意味し、特に人の行動を意味する場合が多い形容表現です。 また「いたす」という言葉は「○○する」という言い方をへりくだって表現する場合に使い、「わたくしどもが○○をいたします」や「全力でそのことをいたします」など、「○○の状態を△△の状態へいたらせる、そのようにさせる」という言動や働きを、相手にへりくだって伝える場合の謙譲語表現として認められます。 特にビジネス用語で「いたす」や「いたします」という表現が多く使われ、相手に対してそれなりの敬意を示す際の表現となります。

「いたす」は正しい敬語なのか

「いたす」という言葉は先述のとおり「○○する・させてもらう」という表現の謙譲語表現に認められ、ビジネス上のやり取りでもプライベートの連絡交換・意思疎通においても、十分敬語として認められます。 ただ「いたす」という表現そのものを使う場合には、これは戦国時代や江戸時代など、古語で使われる表現・発音となるため、現代用語・日常語としてはあまり認められません。

「いたす」と「申し上げる」の違い

「いたす」のが持つ意味合いをもう少し具体的に言えば、「○○の状態から△△の状態へ届くようにすること(至らせること)」や「具合の良くない状況や状態に至らせること」、また「特定の目的に向けて全力で働くこと・努力すること」を言い、人の働きやその働きによる経過そのものを指す表現ともなります。 「申し上げる」という言葉は、「自分が想定していることや自分の意見を相手に伝えること」の謙譲語表現となり、主に「言う・話す・伝えること」を意味する敬語表現となります。 「いたす」の基本的な意味合いは「人の行動全般」を表す敬語表現となるため、「申し上げる」のメインの意味にある「話す・伝える」ということもその「いたす」の意味合いに含まれる形になります。

「いたす」は古語なのか

「いたす」という言葉は主に補助動詞のサ行四段活用に見られる古語としての働きを持ち、「○○させていただくこと」や「申し上げること」、また「自発的に○○すること」をへりくだって言う場合に用いられます。 この表現法は歴史を紐解くと、すでに奈良時代や平安時代から使われていた言葉であり、『平家物語』や『太平記』、また能や狂言のセリフでも随所に垣間見られています。 「いたす」の原典を見ると、このように古語として認められる歴史資料の中で認められ、多くの場合は補助動詞や他動詞の活用をもって表現される「相手への謙譲語表現」として使われてきました。 ・貧しき民は妻子を売り、家財をいたし(『沙石集 』) ・思ふさまなるがいたす所 (『平家物語』) ・そのとほりにいたせば (狂言) ・作善(さぜん)をいたして(『太平記』)

漢文

漢文で扱われる「いたす(致)」の活用はまず「致」という一字で表現され、「招致(しょうち:もたらす)」や「致使(しょうし:結果になる)」などと、特定の意味を持つ漢字(漢語)にそのままくっ付ける形で表記されます。 漢文における「致」という言葉は主に、祝賀や歓迎の文句、また相手に対する感謝や機嫌伺いを手紙や電報などを送る際には使われ、その際には「送ること」、「至らせること」、「述べること」をそのまま伝える意味合いを持たされることになります。

「いたす」のオタクの使い方

「何か興味のある特定の物事に熱中し、それ以外のことには興味を持たなくなった人」のことをいいわゆる「オタク」と言い、このオタクと呼ばれる人たちの間で使われる慣用句として「いたす」という表現が散見されることがあります。 この場合の「いたす」というのは先述しました平安時代や戦国時代など、日本史において見られた「○○する」の謙譲語をそのまま使った表現として認められます。 ・○○いたした。 ・○○いたしたので本日は休みまする。 ・野暮用をいたした。 上記のように使われ、大したことでもないのにそれを歴史的な言い方をもって大げさに報告する姿勢が面白いとされ、現代でもよく使われる表現に落ち着いています。

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