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「皮肉」の意味/使い方/類語/語源・「皮肉」と「嫌味」の違い

更新日:2020年08月07日

言葉の意味

誰でも、皮肉めいたことや嫌味を言われたら、気分が悪いでしょう。「皮肉」の意味は、婉曲に相手を非難することです。また、期待していたとおりと違う結果についていいます。今回は、「皮肉」の語源や類語「当て付け」の意味、「嫌味」との意味の違いなどをご紹介します。

期待していたのとは違う結果になること

「皮肉」の意味の一つで、物事がすること成すこと期待していたとおりとは違い、自分にとって不都合なことなど、不運な結果になることを意味します。

「皮肉」の語源と由来は?

「皮肉」の語源は、禅の始祖、中国禅僧の達磨大師の「皮肉骨髄(ひにくこつずい)」という仏教的用語が由来です。門弟たちの修行に対して厳しく評価を下した言葉です。

仏教用語の「皮肉骨髄」という言葉から

「達磨大師」は自らにはもちろん、他人にも厳しい人でした。門弟が仏教でいう真理を会得したと認めると、「我が骨を得たり」(そなたが得たものは骨だ)「我が髄を得たり」(そなたが得たものは髄だ)といって称賛しました。 しかし、悟りには程遠く決して真理に到達しているとはいえないと見抜くと、門弟の未熟さを非難する気持ちで辛口に評し、「我が皮を得たり」(そなたの得たものは皮だ)「我が肉を得たり」(そなたの得たものは肉だ)と言いました。 「骨」や「髄」は、物事の中心をなす重要な点や、精神の根本の比喩で、仏教上の真理を掴むことを意味し、上滑りな者に対して「皮」や「肉」といって評しました。その教えから、「皮肉」は遠回しに非難することなどを意味するようになりました。

達磨大師

「達磨大師」は、中国禅宗を最初に開いた祖で、6世紀の初めに母国インドから中国へ行き、禅を広めました。伝説的な人物で、存在しないのではと疑惑を論じられていましたが、後に敦煌莫高窟(とんこうばっこうくつ)で見つかった資料により立証されています。 嵩山(すうざん)にあった少林寺で座禅の苦行を重ね、9年の歳月をかけて悟りを得ました。その長い苦行のために手足を失ってしまいました。その姿から後に「達磨の人形」が生まれました。

達磨人形

9年間壁に向かって半跏を組み続け、悟りを成就したことから「面壁九年」の故事がうまれました。そして「達磨大師」の座っている姿に似せてできたのが達磨人形です。 江戸時代半ばに既にあった「起き上り小法師」を「達磨大師」の形にして、中におもりを入れて、横に転んでも素早く起きる仕掛けの玩具は全国に普及しました。 そしてその動作から、何度失敗、挫折を経験しても、決してあきらめず勇気をもって立ち向かうことを意味する「七転び八起き」の言葉が生まれ、縁起の良いものとして広まっていきました。 「達磨人形」は、鮮やかな朱色の着物を身に付けた達磨禅僧の姿で、目玉が描かれていません。習わしで、商売や事業の繁栄、立身出世などの願いが叶うとされ、始めに黒い墨などで片方に目を描き、満願成就した際、もう片方に黒目を描くとされています。

「皮肉」の使い方は?

「皮肉」を使った表現はたくさんあります。物事の状況や場面によって、色々な使い方が考えられます。

辛辣な皮肉を言う

・「事なかれ主義の役人に、彼は辛辣な皮肉を吐いた」 ・「これであなたの望みどおりになりました。と左大臣は、悪意のこもった眼付きで辛辣な皮肉を言った」 ・「それくらい少し考えれば誰でも思いつく。わたしは師から辛辣な皮肉を言われ、力なく頭を垂れた」

皮肉なめぐりあわせである

・「かつての妻は、自分が仕える少将の奥方となっていた。何という皮肉なめぐりあわせであろうか」 ・「わたしが尊敬した恩師の姿はもうそこにはなく、すっかり落ちぶれて、目の前で物乞いをしている。彼は、皮肉なめぐりあわせに運命の残酷さを感じた」 ・「自分が捨てた子は、子供のいない富豪の家に引き取られ、何不自由なく幸せに暮らしている。しかし、まさかこんな形で会えるとは。彼女は皮肉なめぐりあわせにおののいた」

初回公開日:2018年03月04日

記載されている内容は2018年03月04日時点のものです。現在の情報と異なる可能性がありますので、ご了承ください。
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