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岡本太郎の言葉が名言と言われる理由・岡本太郎について・名言集

更新日:2020年11月13日

自己啓発

岡本太郎は芸術や人生などについての多くの名言を残しています。若いころに安定や幸せより危険な道をとることを自らに課していた彼の名言は、現在でもその輝きを失っていません。岡本太郎の作品や名言の裏に隠された真意などを紹介しています。ぜひご覧ください。

岡本太郎の言葉が名言と言われる理由とは?

岡本太郎という人物をご存知でしょうか。名前は聞いたことあるけど、どのような人物だかはよくわからないという方も多いでしょう。芸術家ですが、芸術以外にも心に響くたくさんの言葉を残しています。今回は、岡本太郎とその名言について紹介していきます。

闘い続けた芸術家

岡本太郎の言葉が名言と言われるのは、彼が生涯「安定」や「幸福」を追求せず、常に危険な道を選んで闘い続けたからです。 彼は、小さくまとまるということを嫌っていました。そのため、いつも迷ったら危険な方、結果の見えない方を取っていました。彼は、自分に才能があるとは考えていませんでした。ただ、誰もやったことのないことをやってやろうという覚悟がありました。その覚悟が闘う芸術家岡本太郎を生み、さまざまな名言が生まれました。

岡本太郎という人物について

岡本太郎とはどのような人物だったのか、また主要作品などを紹介します。

生涯

芸術一家に生まれる

岡本太郎は漫画家の岡本一平、作家の岡本かの子との間に生まれました。この両親は太郎を子供だからといって甘えさせることはせず、一人の人間として見ていました。それが後の岡本太郎の礎になっていると、彼は述べています。 特にかの子は恋愛に奔放であったり、作品を書いている最中は太郎がうるさいからと柱に彼を縛り付けたりするような人でした。岡本太郎は「母親としては最悪」とかの子を評していますが、芸術家としては認めていました。

パリ留学

岡本太郎は10代後半から約10年間パリで生活しています。そこでさまざまな芸術家と芸術とは何か、ということについて議論しました。 また、ピカソの絵に衝撃を受けピカソを超えてやろうと思うようになり、抽象芸術に打ち込むようになりました。パリでの生活がなければ芸術家としての岡本太郎は誕生しなかったと言っていいほど、彼に影響を与えた10年間でした。

帰国後

帰国後岡本太郎は徴兵され一時軍隊に所属しました。終戦後盛んに芸術活動を始めました。当時は暗いトーンの色を用いた絵が評価されていましたが、彼はあえて原色を多用し自分の表現を模索していきました。その反骨精神から彼の多くの作品が生み出されました。

主要作品

岡本太郎の主要な作品としてまず真っ先に思い浮かべられるのが、「太陽の塔」です。大阪万博の際に建てられたこの塔は、もともと岡本太郎が作る予定ではありませんでした。 しかし、費用や制作時間の面から作成を断る芸術家が多く、岡本太郎のところにこの話が舞い込こみました。この塔ができた当時はこの作品について賛否両論ありましたが、現在では岡本太郎の代表作としてそびえ立っています。 また、渋谷駅にある壁画「明日の神話」も彼の代表的な作品の一つです。原発に焼かれながらたくましく再生していく人々が描かれています。長さ30メートル、高さ5メートル半のこの壁画は見るものを圧倒する迫力があります。 その他にも、初期の作品「痛ましい腕」教科書にも載っている「森の掟」など、数々の作品を世に送り出しています。

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初回公開日:2018年02月19日

記載されている内容は2018年02月19日時点のものです。現在の情報と異なる可能性がありますので、ご了承ください。
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