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「畢竟」の意味と使い方の例文|読み方/書き順/語源/言い換え

更新日:2018年02月18日

言葉の読み方

畢竟という言葉の意味をご存知ですか?この記事では、畢竟の仏教用語としての意味や、実際の文章での使い方、例文などをわかりやすく説明しています。気になる書き順や、英語での言い換え、畢生など似た言葉との意味の違いも必見です。この記事を読んで是非教養を高めましょう。

畢竟の類義語として「究竟」という言葉があります。「くきょう」または「きゅうきょう」と読みます。究竟は畢竟と同じく、「究極」「つまるところ」を表す言葉です。 「きゅうきょう」と読んだ場合は、畢竟とほぼ同一と考えて問題ありません。ただし、「くきょう」と読んだ場合は、「極めて優れている」という意味もあります。仏教用語では「無上」「終局」という意味になります。

英語ではどういう意味?

畢竟は英語ではどのように表現するのでしょうか。畢竟は英語に訳すと「After all」です。または「at last」「in the end」という言い方もできます。「ultimately」でもよいでしょう。どれも畢竟と同じく、「結局」や「つまるところ」「最終的に」という意味です。

After allの例文

After allは文頭に置いて「After all, I like you.」(なんだかんだ言って、君のことは好きです)「After all, he was right.」(結局、彼が正しかった)という使い方をします。または、文末に置いて「He failed the exam after all.」(彼は結局試験に落ちた)という使い方をします。

in the endの例文

in the endは「Perseverance will win in the end.」(忍耐は最終的に勝つ/石の上にも三年)のような使い方をします。「success in the end」といえば「最終的な成功」の意味です。

畢竟の使い方と例文

畢竟の使い方と例文の紹介です。畢竟は名詞としても副詞としても使うことができます。文章では特に副詞として使われることが多い言葉です。 畢竟は評論文や随筆に頻出します。畢竟という言葉は副詞として、直後の文章を強調する言葉です。したがって、論理立てて説明する文章と相性が良い傾向にあります。これから紹介する例文も、評論や随筆から引用したものばかりです。

「畢竟」の例文

畢竟の例文です。畢竟は芥川龍之介の文章など、近現代の作品でよく使われています。いくつか例を挙げてみましょう。

芥川龍之介の文章にみる畢竟

古来如何に大勢の親はこう言う言葉を繰り返したであろう。――「わたしは畢竟失敗者だった。しかしこの子だけは成功させなければならぬ。」

芥川龍之介の『侏儒の言葉』からの引用です。畢竟は「結局」「最終的に」の意味で使われており、「わたしは結局失敗者だった」という言い換えができます。 『侏儒の言葉』では畢竟が多く使われており、他にも「正に器用には書いてゐる。が、畢竟それだけだ。」という文章があります。これも同じく「結局」や「つまるところ」、「最終的に」という言い換えができます。

中原中也の文章にみる畢竟

努力を尽しても、猶天命は俟たねばならないものだといふことを、努力の際中でも予想出来るのでなければ、努力といふことも畢竟何のための努力か分らなくなり、そんな所から美は出て来ないと思ふのだ。

中原中也の『詩壇への願ひ』という評論文からの引用です。畢竟は「結局」や「最終的に」という意味で使われています。「努力ということも結局何のための努力かわからなくなり、そんな所から美は出て来ない」と言い換えることができます。

初回公開日:2018年02月18日

記載されている内容は2018年02月18日時点のものです。現在の情報と異なる可能性がありますので、ご了承ください。
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