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「ここで会ったが百年目」の意味と使い方・類語・語源・由来

更新日:2024年02月05日

雑学・歴史

「ここで会ったが百年目」というセリフは、時代劇や落語でよく使われるので、耳にしたことがある方は多いのではないでしょうか。ここでは、「ここで会ったが百年目」の意味や使用シーン、元ネタから意外と知られていないセリフの続きをご紹介します。

話者によって細かいところが変わるのですが「ここで会ったが百年目」の元ネタとなったお話のあらすじは次のとおりです。 <あらすじ> とある夫婦に子供ができましたが、出産前に夫が病死してしまいます。その後妻は、産まれた子供を連れて、生活のために亡き夫の形見である名刀「小夜左文字」を売ろうと、峠を歩いていたところ、峠の頂上付近で何者かに襲われます。 妻は斬り殺され、形見の小夜左文字も奪われてしまいます。遺された子供は、形見の小夜左文字を手掛かりに母親の仇を見つけるため、成人後、刀の研師の元に弟子入りします。何年か後、まんまと一人の浪人が、形見である小夜左文字の刀研ぎを依頼しにやってきます。 ついに憎き仇を見つけた弟子は「ここで会ったが百年目」という決め台詞とともに、形見の小夜左文字で見事復讐を果たしたのでした。 このように「ここで会ったが百年目」は、長年探していた憎い仇をやっと見つけたときに発せられたセリフでした。そのため、今でも仇討ちのシーンでよく使われるようになっています。

「ここで会ったが百年目」の由来って?

小夜左文字と復讐を遂げた弟子は、その後当時の掛川城主、山内一豊に召し抱えられたとされていますので、「ここで会ったが百年目」の元ネタとなったでき事は16世紀末ごろのお話と推測されます。その後江戸時代の落語話などでもよく使われる言い回しとなり、今でも時代劇の仇討ちのシーンなどで耳にします。

落語に出てくる「百年目」の意味は?

「花見の仇討ち」ではどう使われている?

落語の演目である「花見の仇討ち」の中で、茶番の仇討ち劇を演じる際に「ここで会ったが百年目」というセリフが使われています。ここではまさに、元ネタと同じく憎い仇を見つけたシーンで使われており、「ここで会ったが百年目」が仇討ちの決まり文句として定着していたことが窺えます。

「花見の仇討ち」のあらすじ

江戸っ子ぶりたい仲良し男4人組が、花見で民衆の注目を集める何かをしようと考え、架空の仇討ちを演じることにしました。筋書きは、兄弟役の二人組が、仇役を偶然見つけ「ここで会ったが百年目」と口上を述べて民衆の注目を集め、決闘をはじめたところに、六部(修行僧のこと)役が止めに入り格好よくその場を収める、というものです。 練習も済んでいざ本番という翌日、六部役が支度をして外出したところ、家出だと勘違いした叔父に引き止められてしまいます。何とか叔父を酔いつぶしてかわそうとしたものの、逆に六部役が酔いつぶされます。 一方兄弟役たちは、稽古のつもりで振り回した杖が侍に当たってしまい、許してもらうために「親の仇討ちのために旅をしている」とでたらめを言います。侍たちはすっかり信じ込んで感心し、いざというときは助太刀すると約束して去っていきます。 どうにか兄弟役たちと仇役が合流し、いざ仇討ちが始まります。しかしいつまで経っても六部役が止めにきてくれません。しかも間の悪いことに、先程の侍たちが通りかかってしまい、助太刀されてしまいます。 本当に斬られそうになって慌てて逃げだす仇役と兄弟役たちに、侍が「なぜ逃げる、勝負はまだ五分(ごぶ)だぞ」と声をかけると「いや、肝心の六部(ろくぶ)が来ないのです」と答えたのでした。

「百年目」ではどう使われている?

落語の演目「百年目」では、サゲ(落ち)の部分に「百年目」という言葉が出てきます。この話の中では、「ここで会ったが」はついておらず「百年目」だけが使われています。憎い仇に出会ったというよりは、運命の終わり、運の尽きといった、とんでもない不運に遭った絶望感を表現しています。

「百年目」のあらすじ

江戸時代の商家に、まじめで堅物で通っている大番頭がいました。しかし裏では大層な遊び人で、こっそり花見で乱痴気騒ぎをしているところを、偶然商家の旦那(今で言う社長)に見られてしまいます。動転した大番頭は「長らくご無沙汰しております。」と、旦那とは毎日会っているにも拘わらず、意味不明のあいさつをしてしまいます。 その後、旦那に遊び人だとばれたショックから寝込んでいる大番頭のところに、旦那から呼び出しがかかります。クビかとおびえる大番頭ですが、旦那は、大番頭が店の金ではなく自分の金で遊んでいたことや、日ごろの働きぶりを誉め、独立開業の約束をしてくれます。 最後に「なぜあの時、毎日顔を合わせているのに『長らくご無沙汰しております』など妙なことを言ったのか」と旦那から問われます。大番頭は「大変なところを見られて『これが百年目か』と思ったからです」と答えたのでした。

「ここで会ったが百年目」のセリフの続きって知ってる?

「ここで会ったが百年目」はお芝居や落語で使われる言い回しのため、話者によって変わるのですが、大体次のように続きます。 「ここで逢うたが百年目 盲亀の浮木 優曇華の花待ち得たる今日の対面 いざ尋常に勝負、勝負」 現代では「盲亀の浮木 優曇華の花」の部分は省略されることも多く「ここで会ったが百年目」は知っていても後半は知らない方も多いでしょう。しかし講談や落語では「ここで会ったが百年目」を省略して「盲亀の浮木 優曇華の花」だけ使うこともある、決まり文句です。

「ここで会ったが百年目」の続きの「盲亀の浮木」って?

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初回公開日:2017年11月16日

記載されている内容は2017年11月16日時点のものです。現在の情報と異なる可能性がありますので、ご了承ください。
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