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邪馬台国の女王卑弥呼と天皇家の関係・卑弥呼の時代の天皇は誰か

更新日:2024年06月22日

自己啓発

卑弥呼は、古代日本にあった邪馬台国という国を統治した女王と言われています。しかし、卑弥呼や邪馬台国に関する事柄は謎に包まれており、卑弥呼は天皇家に関係のある人物ではないかなど、さまざまな憶測が飛び交っています。今回は、卑弥呼と邪馬台国に関する謎をご紹介します。

卑弥呼は天皇家との関係は、卑弥呼の正体が誰なのかということによってさまざまな説があります。ここでは、卑弥呼の可能性が高い人物を魏志倭人伝、古事記、日本書紀の記述に基づき、天皇家とどのような関係があるのかを解説します。

先祖

天皇家の系譜を辿ると、天照大御神にたどり着きます。天照大御神は神々の頂点に立つ権力者であり、夫はおらず、天照大御神の言葉を伝えるために出入りしている高木神という神がいること、さらに天照大御神は、神々が住む高天原という国を統治していることなど、卑弥呼と酷似する特徴がいくつか見られます。 このことから、卑弥呼は天照大御神ではないかという説が浮上しています。卑弥呼が天照大御神ならば、卑弥呼は天皇家の先祖ということになります。

子孫

卑弥呼は神功皇后という説もあります。神功皇后は、第14代天皇である仲哀天皇の皇后で、日本書紀では「気長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)」、古事記では「息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと)」と表記されています。父は第9第天皇である開化天皇の玄孫・息長宿禰王なので、卑弥呼が神功皇后という説が成立するのならば、卑弥呼は天皇の子孫に当たると言えます。 神功皇后は、日本書紀に魏に使者を送ったという記述がされており、卑弥呼のエピソードと酷似している点があります。さらに、魏志倭人伝には邪馬台国の勢力は九州まで及んでいると記述されていますが、日本書紀にも筑紫(現在の福岡県筑紫市を含む地域)が天皇家の支配下にあったことが記されていることから、江戸時代頃までは卑弥呼は神功皇后であったと広く信じられていました。 酷似する点がある一方、卑弥呼の死後邪馬台国の女王となった宗女・壱与に当たる人物が日本書紀には記載がない点など、魏志倭人伝と日本書紀と噛み合わない部分も多く、信憑性が疑われる部分も多いです。

親戚

近年卑弥呼は「倭迹々日百襲姫(やまとととひももそひめ)」ではないかという説が出てきています。倭迹々日百襲姫は、第7代天皇孝霊天皇の皇女です。日本書紀によると、倭迹々日百襲姫は、奈良県にある三輪山の神との神婚したという伝説や、第8代天皇崇神天皇に神の神意を伝える巫女的な役割を担っていたという記述が残されており、卑弥呼と酷似する部分が見られます。 さらに、倭迹々日百襲姫の墓と伝えられる箸墓古墳は、邪馬台国の有力地と言われる纒向遺跡の中にあり、同時期に作られた古墳の中では非常に大きな規模の古墳です。加えて、魏志倭人伝に記述されている卑弥呼の墓の多きさとほぼ一致するため、倭迹々日百襲姫が卑弥呼であるという説が有力視されている一因となっています。 しかし、倭迹々日百襲姫は皇族であっても、女王と称されるほどの権力を持っていたとは考えにくく、日本書紀と魏志倭人伝の記述に矛盾点があることも指摘されています。箸墓古墳は宮内庁により陵墓として指定されているため、立ち入り調査ができず詳細な調査ができないため、真相は謎のままです。

卑弥呼の時代の天皇は誰か

古事記・日本書紀の記述から考察すると、卑弥呼の時代の天皇は第10代天皇崇神天皇(すじんてんのう)であると言われています。初代天皇である神武天皇から第9代開化天皇までは実在が疑問視されていますが、崇神天皇は実際に存在していた天皇と考えられています。 崇神天皇は初めて国を治めた天皇という意味を持つ「御肇國天皇(はつくにしらすすめらみこと)」とも呼ばれ、崇神天皇が事実上初代天皇ではないかという見解もあります。 崇神天皇は、疫病が流行した時には疫病を鎮めるために、宮中に祀られていた天照大御神と倭大国魂神を皇居の外に移して祀ったり、四道将軍を地方に遣わせて勢力下に置いたり、戸口を調査して課税を科して公共事業を行ったりと、日本文化の発展に大きな貢献をした天皇と記述されています。

卑弥呼と崇神天皇の関係

古事記の記述から考察すると、崇神天皇の没年は258年だと言われています。崇神天皇が258年に没したという説が成立する場合、崇神天皇の治世は邪馬台国の後半時期と重なります。このことから、邪馬台国はヤマト王権の前身であったことを示し、崇神天皇は卑弥呼の側近や卑弥呼の弟、卑弥呼の宗女・壱与の摂州など、何らかの形で邪馬台国の政治に関わっていた人物であると言えます。 卑弥呼が倭迹迹日百襲媛命(やまとととひももそひめ)という説が成立する場合は、卑弥呼と崇神天皇は親戚関係であったと言えます。しかし、卑弥呼が倭迹々日百襲姫という説は、文献による記述に矛盾点があることと、倭迹々日百襲姫の墓といわれる箸墓古墳の立ち入り調査ができないこともあり、推測の域を超えることができず疑問視される声も多いです。

多くの謎が残る邪馬台国の女王卑弥呼

今回は、卑弥呼や邪馬台国にまつわるさまざまな謎についてご紹介しました。いかがでしたでしょうか。 卑弥呼や邪馬台国に関する謎は、解明されていない部分が多く、現在も学者や研究者の間で多くの議論が交わされています。しかし、近年の考古学の発展は目覚しいものがあり、新しい事実が次々と明らかになっています。いずれ卑弥呼や邪馬台国の真実の姿が判明し、卑弥呼と天皇家の関係など、さまざまな事実が明らかになるでしょう。

初回公開日:2017年11月17日

記載されている内容は2017年11月17日時点のものです。現在の情報と異なる可能性がありますので、ご了承ください。
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