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純露と黄金糖の違い|べっこう飴・カンロ飴との違い

更新日:2024年10月03日

社会人常識

多くの人に愛されている、ロングセラーの飴、「純露」と「黄金糖」の違いや「べっこう飴」と「カンロ飴」の違いを紹介します。似ているようで違いがたくさんあります。長い歴史を持つ「純露」と「黄金糖」のお菓子についてご紹介していきます。

同じように見える「純露」と「黄金糖」でも少し形が違います。それはそれぞれの製造会社が生産にあたって試行錯誤の結果作り出された知恵の形であり、美味しく輝かしい『飴』への思いの形であるように感じます。

『べっこう飴』と『カンロ飴』の違いとは

こちらも一見区別がつきにくい「べっこう飴」と「カンロ飴」です。べっこう飴は家庭でお菓子を作る時など、鍋に砂糖や水飴をといて作ったことのある方も多いのではないでしょうか。 そして、色などがよく似ている「カンロ飴」は、べっこう飴とどのような違いがあるのか探ってみました。

『べっこう飴』とは

家庭でも比較的簡単に作ることができる「べっこう飴」は、基本的に砂糖と水を一定の比率で混ぜ合わせることでできます。 熱した鍋に砂糖を入れて、時間をかけてゆっくりと溶かしていき、水、あるいは水飴を加えて更に混ぜ合わせます。黄金色になったら型に流し込み、固まるのを待って出来上がります。 「純露」と「黄金糖」は、砂糖と水飴を原料としているのでフレイバーとしては「べっこう飴」に属するでしょう。

『カンロ飴』とは

「カンロ飴」とは、カンロ株式会社が製造・販売している「カンロ飴」という商品です。カンロ飴の原料には、日本食に欠かせないしょうゆが使われています。60年以上変わらないレシピで、主に砂糖、水飴、専用のしょうゆで作られています。 昔ながらの製法の懐かしい味わいなので、飽きる事のない飴になっているのが人気の秘訣です。

ほんの気持ちをプレミアムカンロ飴に

またカンロ株式会社では、人から人へつながる一粒をコンセプトに「ヒトツブカンロ」というプレミアムカンロ飴を、東京と大阪の限定2店舗で販売しています。自分へのご褒美や、ちょっとした手土産に、おしゃれで可愛らしいパッケージと小粒のカラフルな飴が目を引きます。

日本のあめの起源

日本の飴の起源は、奈良時代にまでさかのぼり、「日本書紀」にも記されています。神武天皇が大和の国を征服した際に「水無飴」を作ったという記載があり、米を原料とする水飴状の飴と推測されていることから、米飴のルーツと考えられています。 砂糖が中国から伝わったのは奈良時代中期で、本格的に輸入が始まるのが室町時代と言われていますので、米飴の歴史が古いことがうかがえます。 平安時代の文献にもあるように飴は、当時は大変貴重なもので、朝廷や大きな寺社でしか用いられず、貴族や支配者層の甘味料として珍重されていました。そのため、一般庶民は口にすることはできませんでした。

飴が庶民に広まった時

貴重な甘味料として扱われていた飴が、庶民の手が届くようになるのは、江戸時代の初期からになります。このころから、硬い飴「堅飴」といわれる流動性の無い飴が販売されるようになり、これに対して流動性のあるものは「湿飴」と呼ばれていました。 明治時代以前の飴の製造には、米が使用され、澱粉(コーンスターチなど)は使用されていません。 また飴の糖化は、麦芽を使用した麦芽糖化という手法で行われていたでしょう。この頃の飴は、いわゆるアメ色をしており、香りがあり、その香りは原料によって異なっていました。

これからも変わらない金色の輝き

「飴」は、子供のころから変わらないシンプルな砂糖と水でできたスイーツです。 小さいころからきらきら光る黄金色の飴を口に入れれば、甘い風味とカラメルの香りが口に広がり幸せな気持ちになりました。ついまた一つと、口に運んでしまう手軽なおやつは、大人になっても飽きることがありません。 今回は「純露」と「黄金糖」、「べっこう飴」と「カンロ飴」にスポットをあててみましたが、いかがでしたでしょうか。「キラキラ光る昔から変わらない美味しさ」「砂糖と水だけで作られた素朴で深い味わい」これからもその魅力は変わらないでしょう。 小さな飴にこめられた、それぞれのメーカーの思いを味わいながら、食べ比べてみてはいかがでしょうか。

初回公開日:2017年09月13日

記載されている内容は2017年09月13日時点のものです。現在の情報と異なる可能性がありますので、ご了承ください。
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