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「悪法も法なり」の意味と使い方・例と法哲学での意味

更新日:2024年08月12日

言葉の意味・例文

「悪法も法なり」という言葉を聞いたことがありますか。この「悪法も法なり」は、法治主義や法治国家が法を守らなければならないということの説明としてよく出てきます。「悪法も法なり」の意味や使い方、この言葉のもととなった言葉についてまとめましたので、ご参照ください。

「悪法も法なり」の読み方

前述しましたように、ソクラテスが言ったとされる言葉の直訳は、「従う、それ以外のことはしない」です。自分が受ける死刑を甘んじて受けるということです。 「悪法も法なり」という言葉は、現在では日本で法治主義の場合は、良くない法でも法は法だという考えの例えとして使われます。しかし、この言葉のもととなったソクラテスは、決してそのような意味で上記の言葉を言っていないという解釈が正しいのではないかと現在では言われています。

「悪法も法なり」は嘘なのか

「悪法も法なり」という言葉がソクラテスが言ったということについては、上記の出典や直訳からも、本当ではないと考えられます。しかし、「悪法も法なり」という考え自体は、嘘か否かと言われれば、嘘ではありません。法治国家にとって、法は守らなければならない規範であり、どんな法であっても守るということが秩序を保つ基礎となっているからです。 「悪法も法なり」という言葉は、実はソクラテスが言ったのではなく、法治主義者や法治国家が便利に使える言葉として作り出した言葉なのではないかというように一部では考えられています。

「悪法も法なり」は、日本が作り出した嘘か

「悪法も法なり」の言葉のもととなったと考えられるプラトンの「パイドン」には、ソクラテスの言葉として「悪法も法なり」とは出てきていません。また、西洋でも「悪法も法なり」などという教育は行われていませんし、むしろ外国では「悪法だとしても法には違いない。しかし、法だからといって従うべきではない。」と教えています。 つまり、このソクラテスの名言とされて日本で使われている「悪法も法なり」という格言は、日本のみが、国や行政が都合の良い解釈をして広めたものではないかという考え方です。他国の教科書には載っていない格言なのに日本の教科書だけに載っているという点では、日本が都合よく作ったものだという考え方が有力なのでしょう。

「悪法も法なり」の解釈

「悪法も法なり」という格言は、さまざまな解釈ができる言葉です。一般的には、「法が自分にとって都合の悪いものだったとしても、それを受け入れなければならない」という法治主義的な考えを表す言葉として用いられます。他には、「悪法も法なり」ということから、「法は常に正しいとは限らない」となり、つまりは「間違った法は正していかなければならない」という考えだともいえます。

「悪法も法なり」の由来の言葉

実は、「悪法も法なり」という言葉の由来となった、ソクラテスは死刑囚となったときに、賄賂を渡せば脱獄できたと考えられています。しかし、ソクラテスはそうであっても、法律でそう規定されているのだから、あえてその罪を受け入れて死罪となった。このことから、いくら悪法といえども法律は法律であり、受け入れなければならないという考えのたとえとして使われるようになりました。 しかし、上述にもあるように、プラトンのパイドンでは、「悪法も法なり」という言葉は出てきません。この格言の説明として、ぴったり当てはまる逸話だとして引き合いに出されているというのが実は本当のところなのでしょう。

「悪法も法なり」の意味を覚えましょう

いかがでしたか。「悪法も法なり」という言葉の意味や使い方、この格言の出どころとなったと思われるプラトンの「パイドン」にあるソクラテスの言葉などをみてきましたが、本当はソクラテスが言った言葉ではないのではないかなどのことがわかりました。 「悪法も法なり」は、理不尽な言葉ですが、法治国家であれば、受け入れなければならない現実でもあります。できることなら、悪法と呼ばれる法律自体を作らないようにする努力が最も重要なことなのではないでしょうか。 「悪法も法なり」の解釈を、日本では「法は法だから悪法だってしょうがなく従わなければならない」という考え方だけはしないように、また、正しい法の制定を求める姿勢を忘れないでいましょう。

初回公開日:2017年11月20日

記載されている内容は2017年11月20日時点のものです。現在の情報と異なる可能性がありますので、ご了承ください。
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