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「いろはにほへと」から始まるいろは歌とは?歴史や由来も紹介

更新日:2024年02月21日

言葉の意味・例文

「いろはにほへと」から始まる「いろは歌」を知っていますか。本記事では、いろは歌にまつわる歴史や由来、いろは歌の作者の謎などをご紹介します。いろは歌に興味がある方や、いろは歌を覚えたい方は、是非この記事をチェックしてみてください。

「いろはにほへとってよく聞くけど、どういう意味なの?」 「いろは歌に続きってあるの?」 「料理のいろは」などのように、物事の初歩の例えとして、また、地名や物の順序を表すものとして、現代においても時おり使われる「いろはにほへと」について、このような疑問や興味を抱いたことがある方もいるのではないでしょうか。 本記事では、「いろはにほへと」から始まるいろは歌について、由来や歴史に加え、意味や覚え方を紹介しています。 この記事を読むことで、いろは歌に関する豆知識を知ることができるほか、いろは歌をしっかりと覚えるきっかけを得ることができるでしょう。 いろは歌の由来や意味を知りたい方や、いろは歌を覚えてみたい方は、是非この記事をチェックしてみてください。

「いろはにほへと」から始まるいろは歌とは

「いろはにほへと」から始まるいろは歌とは

物事、特に稽古事の初歩を表す「いろは」という言葉や、「いろはにほへと」という文字の並びを耳にしたり、目にしたことがある方も多いでしょう。これは、いろは歌と呼ばれる七五調の歌の導入部分です。47音で構成され、全文は以下のようになります。 いろはにほへと ちりぬるを わかよたれそ つねならむ うゐのおくやま けふこえて あさきゆめみし ゑひもせす 一見すると意味が分からないかもしれませんが、単にひらがなが羅列されているわけではありません。意味を踏まえて漢字に直すと次のようになります。 色は匂へど 散りぬるを 我が世誰ぞ 常ならむ 有為の奥山 今日越えて 浅き夢見じ 酔いもせず 漢字にしてみると随分印象が変わったのではないでしょうか。実はこのいろは歌は、現代まで伝わるに相応しい非常によく練られた歌なのです。まずは、いろは歌の構成や意味を紹介します。

47音重複することがない

いろは歌が優れた歌であるとされる理由の一つとして、ひらがなが一つとして重複することがない、という点が挙げられます。 いろは歌は47音のひらがなで構成されています。その47音の中に、同じひらがなは一つもありません。本当か気になる場合は、「ゐ」を「い」、「ゑ」を「え」に置き換えて、50音表と照らし合わせてみてください。 一部には、「ゑひもせす」の後ろに「ん」を加えて48文字とするものや、「いろはかるた」の最後の「京の夢大阪の夢」から「京」という文字を加えるものもありますが、「ん」や「京」をつけないのが正式な形です。 文字を一つも重複させることなく、さらに意味の通る歌を作り上げるのはとても難しいことだと言われています。いろは歌はそれを成立させているため、非常によく練られた歌として評価されているのです。

意味がしっかり通る

もちろんリズムや語感だけが良くても、歌としては成り立ちません。いろは歌には、きちんと通る意味もあります。 改めて、いろは歌を漢字に直したものを見てみましょう。 色は匂へど 散りぬるを 我が世誰ぞ 常ならむ 有為の奥山 今日越えて 浅き夢見じ 酔いもせず 現代語に訳すと、「香りよく色美しく咲き誇る花でも、いつかはやがて散ってしまいます。この世に生きる私たちであっても、それは全く同じことで、いつまでも生き続けられるものではありません。このどこまでも続く無常の現世とも思われる奥山を、今乗り越えて悟りの世界に至ることができるなら、仮想である現世に酔いしれたり、儚い夢を見ることなく安らかな心境でいられるだろうに。」となります。 意味には諸説ありますが、仏教の思想を歌ったものだという説が広く信じられているようです。

いろは歌の歴史・由来

この秀逸ないろは歌は、一体誰がどのように作ったものなのでしょうか。 ここからは、いろは歌の歴史や由来について紹介します。

作者不明

有名ないろは歌ですが、実は作者がわかっていません。 歌の出来ばえの素晴らしさや歌に用いられた仏教的な教えから、長らく作者は真言宗の開祖である弘法大師「空海」ではないかとされてきました。空海が書の三筆の一人だったことや、いろは歌がもともと真言宗系統の学僧の間で学問のために広まったものであることから生まれた空海作者説ですが、いろは歌が成立したとされる時代と空海の生きた時代が合わないことや、いろは歌の構成が空海が生きていた時代の歌の作り方と異なることから、現代では空海を作者とする説は否定されています。 他に柿本人麻呂や源高明などを作者とする可能性が論じられていますが、いずれも確固たる証拠はなく、正確にはわかってはいません。

いろは歌は字のお手本となった

いろは歌が現代にまで伝わっている理由の一つとして、字のお手本として使われていたからという点が挙げられます。 いろは歌は、47音のひらがなを余すことなく使っていることから、11世紀ころから仮名文字を練習する際のお手本として使われるようにりました。江戸時代に入ると、寺子屋での識字教育が行われるようになり、さらに広まっていったと言われています。 また、いろは歌は字のお手本として寺子屋やのちの小学校で使われていただけでなく、「いろはにほへと」から始まる文字順は、「いろは順」として大正時代頃まで仮名文字の並び順として広く使用されていました。幕末の百科事典や大正の法令全書の索引にも「いろはにほへと」が用いられているものがあります。

いろは歌の「京」の意味は?

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初回公開日:2018年01月28日

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