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「気をやる」の意味・類語・古文の意味・江戸時代の使い方

更新日:2024年10月11日

言葉の意味・例文

皆さんは「気をやる」という言葉をご存知でしょうか。現代ではあまり聞き慣れない言葉ですが、江戸時代にはよく使用されていた言葉です。では、江戸時代のどのような場所で使用されていたのでしょうか。「気をやる」の意味を理解すると、その場所も見えてきます。

「気をやる」の意味と使い方

今回、焦点を当てていく言葉である「気をやる」という言葉を皆さんはご存知でしょうか。あまり聞き慣れないという人も多いことでしょう。それもそのはずです。この言葉は現在、日常会話で使用されることはほとんどなくなってしまったからです。しかし、現在でも歴史小説などを読んでいると見かけることがあります。 では、この「気をやる」とは、どのような意味を持っているのでしょうか。実はこの言葉は性的な意味を含んでいます。現代の言葉に言い換えると、「オーガニズムに達する」という意味になります。 先ほど「歴史小説などを読んでいると見かけることがある」という話をしましたが、歴史小説の中において、この「気をやる」という言葉が出てくるシーンは濡れ場であったり、遊郭のシーンが対象となります。

「気をやってはいけない」

「気をやる」という言葉は、オーガニズムに達するという意味を持った言葉だということを説明しました。これを踏まえて、実際にどのような使い方をされていたか、また現代の歴史小説において、どのような使い方をされているかを見ていきましょう。 ここで取り上げる使用例は「気をやってはいけない」という使い方です。「気をやる」という言葉をより会話文に仕立て上げた使い方と言っても良いでしょう。この会話文は歴史小説や時代劇で見たことがあるという方もいるでしょう。 この「気をやってはいけない」という文章は、そのまま現代文に訳せば「オーガニズムに達してはいけない」という意味になります。しかし、この言葉には歴史的な背景や職業の深さが隠されているとも言えます。 後に遊郭についてもう少し詳しく触れていきますが、この「気をやってはいけない」という言葉は、主に遊郭で働く女性の間で使用されていた言葉です。お客さん相手にオーガニズムに達するということが良いことではないとされていた遊郭では、1人のお客さんに対して「気をやってはいけないよ」という使われ方をしていました。 つまり、「遊郭で働く以上は、1人の男性を好くようなことがあってはいけないよ」という意味も含まれていたということになります。この説明から、遊郭の女というプロ根性と、職業柄1人の男性を愛せないという悲しさが秘められていることを理解していただけるでしょう。

「気をやる」の類語

「気をやる」という言葉は、現代語に直すと「オーガニズムに達する」という意味があることはご説明しました。この「オーガニズムに達する」という言葉は、「気をやる」の意味であり、言い換えです。この言葉の他に「気をやる」という言葉の類語として、どのような言葉が挙げられるか見ていきましょう。

いく

現代の性的な小説や日常の性行為中に使用される言葉として「いく」という言葉が使用されます。少々下品な言葉遣いとなりますが、「気をやる」と同義です。したがって、この「いく」という言葉は類語として当てはまります。 「いく」という言葉は、漢字に変換すると「逝く」と書くことができます。「逝く」という言葉は、皆さんもご存知のとおり、「死ぬ」という意味を持っています。「死ぬ」という言葉は天国にのぼるという言葉に言い換えられることがあり、それを「昇天する」と言うことも珍しくありません。 これらを踏まえて考えてみると、「いく」という言葉がオーガニズムに達するという意味の「気をやる」と類語であると納得できます。

果てる

続いて「果てる」という類語です。こちらも小説を始めとした作品を中心に使用される言葉です。元々、「果てる」という言葉は「継続されていた物事が終わりを迎える」という意味を持っています。また「死ぬ」や「逝く」という意味も持ち合わせています。 この2つの意味を合わせ、「昇天する」という意味でも、性行為に使用する言葉として「果てる」という言葉が使用されるようになったと考えられます。

登りつめる

「気をやる」と同じ意味として使用される言葉には、一般的に上記でご紹介した「いく」や「果てる」が使用されます。しかし、中には昇天するという意味を連想させ、「登りつめる」という言葉を使用する場合もあります。したがって、こちらも類語として紹介させていただきます。 この「登りつめる」という言葉には2つの意味があります。1つは「登ることで1番上まで到達する」という意味です。もう1つは「夢中になりのぼせる」という意味が正しい意味として辞書にも記載されています。 この2つの意味はそれぞれ異なりますが、両方を合わせると性行為のオーガニズムに達する際の表現として合っていると感じます。したがって、この「登りつめる」という言葉が「気をやる」と同義語として使用されるようになったと考えられます。

「気をやる」の古文での意味

最初に話に出たとおり、「気をやる」という言葉は、現代では使用されることがほとんどありません。それは主に「気をやる」という言葉自体、使用されていた時代が江戸時代だからです。したがって、古文としての「気をやる」の意味を説明するならば、最初に説明したとおり「オーガニズムに達する」という意味になります。 そもそも「気をやる」の「やる」という言葉は、漢字に変換すると「遣る」と書きます。この「遣る」という言葉自体が古文単語でも使用されており、多くの意味が含まれています。「遣る」の意味には、「行かせる」や「与える」、「気を晴らす」、「最後までやりきる」などが含まれます。 最後に登場した「最後までやりきる」という意味は、やはり性行為中のオーガニズムに達するという意味にも当てはまります。

遊郭で主に使用されていた言葉

最初に「気をやる」の使い方として、「気をやってはいけない」という会話文をご紹介しました。そして、この言葉は主に遊郭で使用されていたという説明も簡単にいたしました。今までの話を総合して見ても、「気をやる」という言葉は性的な意味が非常に強い言葉です。したがって、主に遊郭で使用されていた言葉となります。

江戸時代の「気をやる」の使い方

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初回公開日:2017年11月30日

記載されている内容は2017年11月30日時点のものです。現在の情報と異なる可能性がありますので、ご了承ください。
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