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更新日:2024年09月29日
小紫芳夫さんという名前を聞いたことがありますか。元横浜倉庫の社長で、生前は社会貢献にも熱心だった経営者でした。小紫芳夫さんの生前の事業における功績、そして社会貢献活動などについて、ご紹介していきます。ぜひご一読ください。
横浜倉庫という会社名を見てもピンとこないかもしれません。しかし「YOKOSO(ヨコソー)」といえば見たことがあるという人は少なくないでしょう。 レインボーブリッジに隣接する南側が斜面になった独特の形状のビルにネオンサインで「YOKOSO」の文字が見られるはずです。このビル「ヨコソーレインボータワー」は横浜倉庫芝浦事業所の跡地に建てられたもので、横浜倉庫株式会社の本社が入居しています。 小紫芳夫さんはこの横浜倉庫という会社で1963年1月、社長に就任。1971年に東京税関長から通関業許可(永久)を取得、また1975年には業界屈指のプライベート・バースとして知られている鈴繁埠頭営業所開設。横浜倉庫は今日の日本の物流、ロジスティクスを支えて続けています。
小紫芳夫さんは横浜倉庫の代表取締役として、倉庫業界の発展に貢献してきました。しかし、小紫芳夫さんには企業経営者以外の別の顔があります。 一つは中央競馬というレジャーの発展を競走馬の馬主としての立場からサポートしていく団体、日本馬主協会連合会で会長を務めておられました。もう一つが社会貢献ともいえる活動、公益社団法人日本臓器移植ネットワークの立ち上げに尽力し、会長を務めたということでした。
小紫芳夫さんは中央競馬を出走した名競走馬の馬主としても知られています。小紫芳夫さんが所有していた競走馬で最も有名なのが1987年のG1レース、宝塚記念で優勝したスズパレードでしょう。 1993年6月、小紫芳夫さんは日本馬主協会連合会の第11代会長に就任。2001年3月まで8年にわたって会長職を務められました。 日本馬主協会連合会(JOA)は「競馬に関する健全な趣味を養い、国民の理解を深めると共に会員相互の親睦並びに会員の地位向上を図り、もって中央競馬の発展に資すること」を目的に掲げ、1961年、各馬主協会のとりまとめ役、統括機関として競馬会の要請によって設立されました。 「日本中央競馬会と共に車の両輪として日本の競馬発展のための中心的な役割を果たす公的機関」として活動されています。また、日本馬主協会連合会は馬主会員が賞金の一部を拠出し、スポーツ振興や国内の被災(事故)見舞いなどの助成を行っています。 1969年には、後に公益財団法人中央競馬馬主社会福祉財団へ名称変更となる財団法人中央競馬社会福祉財団を設立。民間社会福祉施設に対する助成事業も行っています。 小紫芳夫さんは「馬主と競馬会が競馬の発展を支える両輪」という、今日の日本馬主協会連合会の連合会の立ち位置を明確にされ、馬主保護に尽力されました。日本馬主協会連合会は今後も小紫芳夫さんの意思を継ぎ、競馬というレジャーの健全な発展に貢献していくでしょう。
公益社団法人日本臓器移植ネットワーク(JOT)は、死後に臓器を提供したいという人(ドナー)やその家族の意思を活かし、臓器の移植を希望する人(レシピエント)に最善の方法で臓器が贈られるように橋渡しをする日本で唯一の組織。 この日本臓器移植ネットワークを設立したのが、小紫芳夫さんです。 小紫芳夫さんは腎不全で二人の娘さんを亡くします。このことがきっかけとなり、1975年、小紫芳夫さんは私財を投じて、社団法人腎臓移植普及会を設立。腎臓移植という治療を支える活動に注力されました。 社団法人腎臓移植普及会は1995年、社団法人日本腎臓移植ネットワークへと発展。1997年には臓器移植法の施行に伴って、日本臓器移植ネットワークに改組。小紫芳夫さんは日本臓器移植ネットワークの初代会長として、移植医療の普及に尽力されました。 腎臓だけでなく、心臓や肝臓、さらには肺、膵臓といった臓器の移植希望者の登録を行うようになり、今日に至ります。 今日、臓器提供意思を表示されている方々の多くが登録されている「ドナーカード」も小紫芳夫さんが立ち上げた腎臓移植普及会によって始められた腎提供者登録制度が発展していったものです。 2017年、日本臓器移植ネットワークは臓器移植法施行20周年記念事業として「考えよう、今。変えよう未来を。」というキャッチコピーを掲げた事業を展開しました。 臓器移植対策の推進に顕著な功績のあった個人および団体に対して厚生労働大臣感謝状の贈呈を行ったほか、多くの人々に20年間の感謝を伝えた「臓器移植推進国民大会」、臓器移植を受けた方をはじめ、障がい者の方や一般ランナーの方が共に走り、喜びを分かち合ったイベント「2017グリーンリボン ランニング フェスティバル」が開催されました。 こうしたイベントの開催で臓器移植という医療に関心を持った人も少なくないでしょう。
小紫芳夫さんは2010年10月17日、肺血栓塞栓症で亡くなられました。82歳でした。 生前、小紫芳夫さんは横浜倉庫の経営者として、日本の倉庫業、物流、ロジスティクス業界の発展を支えたほか、日本馬主協会連合会の会長としては、競走馬の馬主保護などに貢献されました。 また、小紫芳夫さんは今日の臓器提供者登録制度というシステムを作り上げ、臓器移植という医療方法を、誰もが知るものとして普及させていったという功績は今も多くの人から称賛を得ています。
記載されている内容は2022年07月01日時点のものです。現在の情報と異なる可能性がありますので、ご了承ください。
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