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「察するに余りある」の意味/類語/敬語表現・使い方と例文

更新日:2024年02月03日

敬語表現

人間に本能的に備わっている、人を思う気持ちが「共感」と言います。その共感力を言い表す言葉は多くありますが、深く相手の気持ちに寄り添うのがこの「察するに余りある」です。「察するに余りある」は、思いやりの言葉です。この言葉の類語や使い方をご紹介します。

「察するに余りある」が慣用句として定着しているので、これを敬語にしてしまうと、おかしくなってしまいます。このため、この言葉を敬語に直すということはせずに「ご心中、察するに余りあります」など、丁寧に言い換えれば問題ないです。 「察する」は、敬語にできるにしても「察して」「余りある」は自分自身のことで、自分自身に敬語は使いません。このため「察するのに余りある」の敬語の表現はすることはありません。 相手の心中を察する場合では「(相手)様のご心中をお察しいたします」などと使うことができますが、「(相手)様のご心中をお察ししても余りがあります」というのは、違和感がある表現になり、不自然な感じが否めません。このため「察するのに余りある」は、このまま丁寧な表現に置き換えて使うのが一般的となっています。 また、察するに余りあるは目上の方に使っても失礼にならないのに対し、「お察しします」は使い方によっては目上の方に使うのが不適切な場合もあるので注意が必要です。

「察するに余りある」の使い方と例文

「察するに余りある」はどのように使用するのでしょうか。「察する」というのは「相手の状況や心境を推測して了解する」ということです。「同情する」という意味合いもあるので、相手が辛い状況にいる、不幸や苦労をいたわる言葉として使われることが多いです。 このため「察するに余りある」も負の感情の場合によく使われます。ここで、いくつかの例文をご紹介します。

両親の悲しみは察するに余りある

お子さんが亡くなったり、何かの被害にあった場合や、お子さんが道を外した時など、ご両親の悲しみは深いです。見るだけでその深い悲しみが伝わる時に「両親の悲しみは察するに余りある」というこの表現を使います。

使い方の例

一人息子を事故で亡くした彼の両親は悲嘆に暮れていた。はたから見ている私には、その悲しみを察するに余りあるものだった。

その心中察するに余りある

驚きや苦労、そして喜びなど、相手の心の中が透けて見えそうなほどの、自分と重ねてその気持ちや苦労がわかる場合などに「その心中(胸中)察するに余りある」と表現します。

使い方の例

ずっと彼女がその車を手に入れるために努力していたことを知っていた僕には、彼女が初めて車に乗った時の、その心中は察するに余りあるほどよくわかった。

弔文にて使用する場合

貴社社長○様ご急逝の由、誠に信じがい報でございます。平素は大変壮健な方と存じ上げておりましたので信じられない思いでございます。ご遺族様のそのご心中察するのに余りありますが、どうぞお力落としのなきようお祈り申し上げます。心よりお悔やみ申し上げます。

ご傷心察するに余りありますが

相手の悲しみや苦しみが深い場合に使用します。傷心とは心が傷つくことです。家族が亡くなった時や思いがけない不幸に見舞われた時に、お見舞いの言葉として「ご傷心察するに余りある」と共感し、そのあとに必ず励ましの言葉をかけます。

使い方の例

被災した皆様のそのご傷心は察するに余りあるものがございますが、復興へ向けて大きく踏み出しましょう

弔電で使用する場合

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初回公開日:2017年11月22日

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