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「引導を渡す」の意味と使い方・由来・仏教での意味・語源

社会人常識

「引導を渡す」という言葉を知っていますか。あまり良いイメージはないでしょう。しかしそれだけではありません。実は「引導を渡す」にはある前向きな意味が込められています。今回はそんなこれまでのイメージを180度覆す情報をご紹介いたします。

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「引導を渡す」とは

監督が選手に「引導を渡す」。こんな文句をスポーツ記事やニュースなどで目にすることがあります。他にも、上司が部下に退職を促すことを「引導を渡す」ということがあります。 重々しい場面で登場する「引導を渡す」という言葉。詳しい意味や由来を理解している人はあまりいないのではないでしょうか。なんとなく物悲しさは伝わりますが、なぜ「引導」を「渡す」のかと問われても説明できる人は少数です。 「引導を渡す」とはどういう意味で由来や語源はなんなのでしょう。そんな疑問を解消すべく、「引導を渡す」という言葉について詳しく掘り下げていきます。

「引導を渡す」の読み方は?

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「いんどうをわたす」と読みます。

「引導を渡す」ってどういう意味?使い方は?

意味

「引導を渡す」をネット辞書で検索するとこのようになります。

引導(いんどう)を渡(わた)・すの意味 1 僧が死者に引導を授ける。 2 相手の命がなくなることをわからせる。あきらめるように最終的な宣告をする場合などにいう。

主に使われる意味合いは以下のとおりです。 ・言う側の場合は、相手に「もうこれまでだ」とわからせるように最終宣告すること。 ・言われた側は、「もうこれ以上はやめた方がいい」と相手に判断されたということ。 どちらも継続を諦めるという意味です。直接命を奪う意図としても使いますが、大体フィクションの世界でしか使われていません。

使い方

「引導を渡す」はことわざの一つですが、主に動詞として使われます。 ”誰かが誰かに「引導を渡す」”というように、必ず「渡す側」と「渡される側」が存在します。 「渡す」場合は自分の一声で誰かが何かの継続を諦めることができるときや、自分が言うことで誰かの引退を促すことができるときに使います。 ただ、一般的には本人に直接「引導を渡す」とそのまま言うことはありません。本人には自分の言葉で考えを伝えますが、その行動を「引導を渡す」と呼びます。また、自分が誰かにそのように言われたことを「引導を渡された」といいます。

例文

例をあげると、「引導を渡す」にはこのような使い方があります。 ・あの人は彼にいつ「引導を渡す」のだろう。 ・あいつに「引導を渡す」のは自分しかいない。 ・彼からついに「引導を渡されて」しまった。 以上の全てが”誰かが誰かに”や”自分が誰かに”または”誰かが自分に”何かの継続を諦めさせるということになります。

「引導を渡す」の類語は?

一般的な「引導を渡す」の意味は、相手にこれ以上の継続はできないとわからせる行動をいいます。 ・最終宣告をする。 ・息の根を止める。 ・死刑宣告をする。 などの継続の打ち止めを意味する言葉が当てはまります。

「印籠を渡す」ではないの?

よく「印籠を渡す(いんろうをわたす)」と間違えられることがありますが誤りです。検索サイトで「印籠を渡す」と検索している人が多いため、検索候補にたくさん出てきます。

そもそも「印籠」ってなに?

「印籠」とは薬を入れるためのものですが、初めの頃は朱肉や印を入れていたことから「印籠」と呼ばれます。紐と「根付」という留め具でストラップのように腰からぶら下げて携帯していました。 時代劇で有名な「水戸黄門」の格さんが「この紋所が目に入らぬか」と言って掲げる小さな箱のようなものがそれです。黄門様の印籠には徳川家の家紋が彫られているので、劇中では身分の証明に使われています。 「水戸黄門」のシナリオ上では悪党が観念して悪事の継続を諦める場面ですが、一般的には意味が通じることはありませんので気をつけましょう。

「引導を渡す」の「引導」って?なぜ「渡す」の?

「引導」を「渡す」ということから、何か「物」を相手に「渡す」という意味に捉えらえがちですが実は違います。「引導」の意味は以下のとおりです。

いんどう【引導】 先に立って導くことをいうが,仏教用語としては,迷っている者たちを悟りの世界へ導くことを意味し,さらに転化して,死者を浄土(仏の国土)へ導き入れる儀式をさすようになった。葬式における引導の仕方は仏教諸宗派によってさまざまであって一定していない。葬式を中心になって行う導師が棺前において,諸行無常(人生のすべてのことは必ず変化する)の理(ことわり)と,必ず仏の救いにあずかることを説いて,死者にこの世との縁を切らせることを引導をわたすという。

「引導」は仏教用語であり、「物」ではなく「導く行為」や「儀式」のことであることがわかります。 死者を仏の国に導くことを、現世からあの世への「橋渡し」や「船で渡す」という例え方をしたので「引導を渡す」といわれるようになりました。

「引導」の語源は?

「引導」の語源は四字熟語です。

誘引開導(ゆういんーかいどう) 「引導」の語源で、人々を仏の教えに導くこと。 または僧侶が葬式のときに死者へ極楽浄土の法を説くこと。

誘引開道が語源で今は「引導」といわれるようになりましたが、今も元々の意味とあまり変わりません。

「引導を渡す」の由来は?

「引導を渡す」の始まりはなんでしょう。ネット辞書によると以下のとおりです。

中国唐代中期の禅僧黄檗希運(おうばくきうん)が溺死(できし)した母のために法語を唱え、荼毘(だび)の火を投じたことに由来するといわれる。[石川力山]

黄檗希運という禅僧が亡くなった母親を弔ったことが始まりだということが書いてあります。黄檗希運とはどんな人物なのでしょうか。 多くの資料がありますが、短いものを一つ取り上げます。

黄檗希運(おうばくきうん)

黄檗希運 おうばくきうん [生]? [没]大中4(850)? 中国,唐の禅僧。福州の人。断際禅師。洪州黄檗山において出家し,都,長安に遊学したのち洪州に戻り百丈懐海に師事,その法を継いで黄檗山に住んだ。その後,竜興寺,開元寺に移り住んでその宗風を広め,多数の弟子を育成。そのなかでのちに臨済宗の開祖となった臨済義玄が著名。語録『伝心法要』 (1巻) が残っている。

禅宗の一つである臨済宗の開祖、臨済義玄のお師匠様であることがわかります。 この黄檗希運禅師が母親を弔ったことがきっかけで、以来仏教(禅宗)では死者を弔う際に「引導を渡す」ようになりました。 では、どのようなことが「引導を渡す」元になったのでしょう。以下にそのエピソードを要約しました。

「引導を渡す」にまつわる故事

振り払えない親子の情

昔々、中国の江西省に希運という修行僧がおりました。希運は幼い頃に出家してからずっと修行をしており、故郷には年老いた母親が一人で住んでいます。父親とは早くに死に別れ、故郷を離れてから20年もの歳月が過ぎていました。 希運は母親に会いたくなりましたが「僧になったら故郷には帰れない」という厳しい決まりを守り、帰れずにおりました。また、母親も希運がとても恋しく、その思いが降り積もって、ついには目の視力を失ってしまいました。

息子との再開を求める母親

母親は希運に会いたい気持ちを抑えきれず、旅をしている修行僧を家に泊めその度に修行僧の足を洗ってあげました。目が見えなくなってしまっても足を洗ってあげれば自分の息子だとすぐにわかります。 息子の足の片方には瘤があるからです。母親は息子に会える日を夢見て、毎日修行僧を泊め続けました。

再会

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それから何年か経ち、偶然故郷に立ち寄った希運は母親の顔を一目見ようと家を尋ねました。 母親が失明していて自分の顔がわからなくなっていることを知り、自分が息子だと教えれば情に取り憑かれてもう離れられなくなってしまうと危惧した希運は、瘤の無い方の足を二回洗ってもらいました。 再会できたことを母親に気づかせないまま、当たり障りない会話をして翌日家を去りました。

気づいた頃には

息子だとは気づかずに泊めた僧を見送ってすぐに、母親の元に昔からの知り合いの禅僧が尋ねてきました。その者に「途中であなたの息子を見かけたが、久しぶりに母子再会できたようでよかったことです」と言われ驚いた母親は息子の薄情さに嘆き悲しみましたが、それでも会わなければと決心し息子の後を追いかけました。 しかし時は遅く、息子は舟で渡って行ってしまった後でした。諦めきれずに耳を澄ませると、遠くの方から舟を漕ぐ音が聞こえてきます。息子が乗っているに違いないと無我夢中で河に入って後を追いましたが、無情にも河は深く流れも速くなっていき、母親は沈んでしまいました。そして、そのまま浮かんでくることはありませんでした。

一喝

母親が自分の名前を呼ぶ声が聞こえて、希運は船頭に舟を引き返させました。しかし、いくら探しても母親の姿を見つけることはできませんでした。希運はうずくまり、声を大にして叫びます。

「一子出家すれば、九族天に生ず、もし生天せざれば、諸仏の妄語なり」 (出家の功徳は九族天に生ずといわれる。私は出家者なのだから、その母は必ず天に生まれ変わるはず。もしそうでなければ諸仏が嘘をついたことになる)

これに答える者はおりませんでした。ただただ、水が速く流れる音がするだけです。そして、こうも叫びました。

「棄恩入無為、真実報恩者」 (出家して無為に入ることにより、真実全ての恩に報いることができる)

「我母多年迷自心、如今華開菩提林、当来三会若相値、帰命大悲観世音」

(私の母は長年自分の心を迷わせておりましたが、今花開く菩提林のようにこれから行われる三法要会と私の母の生前の積み上げた徳が同じほどの価値があるのならば、慈悲深くおられる観音様のことを心から尊敬し、母の成仏を祈ります) そう唱え終わった後、一喝して炬火(たいまつ)で空に円を描き、水に投げ入れました。すると不思議なことに、炬火(たいまつ)が落ちた処に母親の亡骸が浮かび、火は燃え続けて母親の安らかな顔を照らし出しました。

仏教での「引導を渡す」とは?

「引導を渡す」にまつわる故事の最後に、言葉を唱えたり炬火を投げ入れる描写がありましたが死者を弔う儀式として受け継がれています。 仏教においての「引導を渡す」とは、迷える死者に対して仏の教えを説いて、仏道に導びく意味があります。しかし、全ての宗派で行うわけではありません。様式もそれぞれ違います。 「引導を渡す」宗派の葬儀では、死者がどこで生まれてどんな徳を積んできたのかを讃え、死者に対して自分は死んだのだとわからせる儀式を行います。以下にいくつかの宗派による例を挙げます。

「引導法語」

葬儀中座って読経していたお坊さんが立ち上がります。そこから「引導法語」が始まります。まずは亡くなった方がどうのような生き方をしてきたか、どのような功績を立てたかを讃えます。これらは全て漢詩で表現します。 そして、もう亡くなってしまったということを自覚させるように促し、現世への思いを断って仏の世界に進むように説きます。 目覚めさせるように「喝(かつ)」や「露(ろ)』で激しく、または「咦(いい)」と優しく教えを説いて亡くなった方が自分の死に向き合えるようにします。これらは「一字関」といって、禅の心理が一字に込められています。完全に説明しきるのはとても難しいとされています。ニュアンスとしては以下のとおりです。 ・「喝(かつ)」 叱咤です。相手を叱り、正しい道を気づかせます。 ・「露(ろ)』 あらわにするという意味です。心が見えている、または目の前にあらわれている心理をよく見よということです。 ・「咦(いい)」 明るく笑って導くときに使います。笑い飛ばすように道を正します。

炬火(たいまつ)を用いた儀式

「引導法語」の前後に故事にあった炬火で空に円を描く動作をします。円を描くことを「一円相」といいます。悟りや仏性の他に心理や宇宙、この世の全てを象徴的に表したもので、見る人によって解釈が変わります。 一般的には本物の炬火を使うことはしておらず、木と布で炬火の代わりになるものを作ったり長いお線香を使うお寺もあります。

「引導法話」はお経とは違うの?

お経とは大昔にお釈迦様の教えを死後お弟子さんたちが書き記したもののことをいいます。 「引導を渡す」際に唱える「引導法語」は故人の功績や生き方を讃えるために、葬儀を行うお坊さんがその都度考えて書き記すものなので故人によって異なります。 以上のことから「引導法語」はお経ではないということがわかります。葬儀ではお経の後に「引導法語」が始まるのが通例です。

「引導を渡す」とは救済すること

相手に終わりを促すなどのマイナスなイメージが付き纏う「引導を渡す」という言葉ですが、仏教においては正しい道に促し助ける意味として使われていることがわかりました。 今後誰かに「引導を渡す」ことがあれば、行動の中に正しい道への救いの意味を込めてみてください。切り離すように「引導を渡す」よりも思いやりの心が感じられ、相手とのいい関係をこれからも続けることができます。 また、引導を渡された人が落ち込んでいたらぜひこの記事を思い出してください。その人の心を少しでも救ってあげましょう。

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